官兵衛は、復活してすぐに三木城を落とすべく、画策します。自身を裏切り土牢に幽閉される発端を生んだ政職を捕えた官兵衛ですが…そしてついに黒田家の家紋が完成。黒田家の再興が描かれた回です。
ネタバレ
軍師官兵衛 24話『帰ってきた軍師』は、黒田家の再興、そして繁栄が描かれています。ここからネタバレです。
三木城は秀吉の戦略により兵糧は絶え、兵はみな心身ともに疲れ果てていた。
そんな中、官兵衛が使者として三木城へと出向きます。開城を迫る官兵衛に、長治の家臣は毛利の援軍への期待を口にしますが、それをも官兵衛が打ち砕きます。自身を“地獄よりの使者”と例え、「毛利は動かぬ!討死するか、幾千の家臣を助けるか二つに一つ」とすごい形相で睨みます。その言葉に城主長治は、開城を決意します。その後、長治は息子、一族ともに自害します。
息子を自分の手でかける、そのつらさ、計り知れませんね。しかし、有岡城のような無残な最期ではなく、家臣を守り散った立派な最期でしたね。
残すは小寺の御着城のみとなった。三木城の最後を聞いた城主政職は、長治のように自害することを恐れ、息子・斎を連れて逃げることを決意します。しかし、毛利領から逃れようとしていたところを太兵衛たちに見つかり、捕えられます。
黒田家に捕えられた政職と斎。いつかは黒田家の主君であった政職ですが、官兵衛を裏切ったことから黒田家は彼を許せません。それでも“自分は悪くない”と縄を解くよう訴える政職に黒田家家臣職隆は「大事な倅である官兵衛をなぜ裏切った…!」と怒りに震え刀に手をかける。今にも刀を抜くであろう最中、官兵衛が現れます。「16より殿に仕えたこの身を、実の息子同然に思われていると信じておりました」と自分の命を売られた悲しみを訴える官兵衛。刀を渡し「武士らしく腹を召されよ」と促します。情けなく逃げ出そうとする情けない政職の前に官兵衛が太刀を手に持ち立ちはだかる。政職が命乞いをする姿をしかと見据え、官兵衛の太刀が振り下ろされる―― しかし、太刀は空を切っただけでした。官兵衛の目には涙が光ります。
官兵衛のことだから逃がしてあげるだろうとは思いましたが、あの政職を睨む眼光を見てひやひやしました。それにしても政職は武士の風上にも置けない情けない人ですね。この人に仕えてきた家臣たちの心中お察しします。1年もの間土牢に閉じ込められ、命を落としかけたのは政職のせいでもあるのに、やはり官兵衛は“地獄の使者”にはなれないのですね。そこまで情を捨てきれない、情深い官兵衛の姿がそこにはありました。
その後、政職を始末出来なかった自分の甘さと半兵衛の代わりになれないことを詫びるため、官兵衛は秀吉のもとへと参上しますが、秀吉は「官兵衛は官兵衛じゃ。それだからわしはおぬしを信用できる」と官兵衛を励まします。秀吉の官兵衛への信頼は厚いですね。わが子のように官兵衛を慈しむ秀吉の姿に胸が温かくなります。
その頃、大阪・天王寺城では信長が重臣たちを集めていた。秀吉、光秀、勝家、一益に一人一人の功労を称える信長—― 最後は信盛です。五年もの間本願寺を囲んでいた苦労を労ってくださるだろう、とそこにいる誰もが思っていた。しかし信長の言葉は予想外なものでした。この五年格別の武功をあげないこと、七年前に信長に口答えをしたことを挙げ、信盛を高野山に隠居することを命じたのでした。
信盛の兵は光秀の配下となり、光秀は織田家中一の出世頭となり、これから織田家が大きく動き出しますね。官兵衛もどう関わっていくのか気になるところです。
そして官兵衛も秀吉より一万石の領地を与えられ、一気に大名の仲間入りを果たしました。それを祝福すべく家臣たちが集まります。そこに光が官兵衛にある旗を渡します。
官兵衛が旗を広げ皆に見せると、そこには藤の花が—―「この藤を、黒田家の新たな紋所と定めたい」と皆に伝える官兵衛。
なぜその家紋にしたのか。真相は官兵衛が有岡城に幽閉されていた時に遡ります。
じめじめとした土牢の中で、松寿丸も死んだと聞いた官兵衛は、生きる望みを失いかけていました。そのとき土牢の中から一房の藤の花が見えたのです。力強く咲くその花を見て、官兵衛は“生きる力と望み”を与えられた。それゆえに、藤の花は官兵衛の命そのものと思えるのだと言う。黒田の者は皆、命の重みを噛みしめ、ともに力強く生き抜いていくこと。その想いをこの家紋に込めたのだそう。
藤の家紋が描かれたその旗がはためく姿を黒田家は皆、誇らしげに見つめます。
藤の花が丸く、寄り添うように、支えあうように描かれている家紋。素敵ですね。お互いを尊重し支え合う黒田家にぴったりだと思います。
気になるのが、官兵衛の足です。てっきり足は良くなるものと思っていましたが、今回も杖無しでは歩けず、引きずったままでした。官兵衛は今後も足は不自由なままなのでしょうか?調べてみると、黒田官兵衛は幽閉されていた後も左脚の関節に障害が残り、歩行や騎乗が困難になった、とあります。また、黒田官兵衛の後世に残る姿絵がみな片膝をたててくつろいでいるのは、足が不自由だからだという逸話もありますが、こちらの真相は定かではないですね。それにしても、幽閉されていた後遺症で一生足が不自由になってしまったなんて…それでも気を強く持ち直し、発端となった主をも許し軍師に復帰した官兵衛の心の強さに感服です…。
官兵衛が無事復活し、大名の一員にもなり、うまく歯車が回り始めた今回。黒田家の家紋の藤の花が無残に散ることなく、今後も咲き誇って欲しいですね。